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最高裁判所第一小法廷 昭和60年(行ツ)41号 判決 1989年4月13日

上告人

岩崎善四郎

上告人

小谷虎彦

上告人

井上善雄

右三名訴訟代理人弁護士

大原健司

佐井孝和

島川勝

辻公雄

山川元庸

安木健

大阪陸運局長訴訟承継人

被上告人

近畿運輸局長

井上徹太郎

被告人

右代表者法務大臣

髙辻正巳

右両名指定代理人

橋本昌純

野口高夫

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人らの負担とする。

理由

上告代理人大原健司、同佐井孝和、同島川勝、同辻公雄、同山川元庸、同安木健の上告理由第一点について

地方鉄道法(大正八年法律第五二号)二一条は、地方鉄道における運賃、料金の定め、変更につき監督官庁の認可を受けさせることとしているが、同条に基づく認可処分そのものは、本来、当該地方鉄道利用者の契約上の地位に直接影響を及ぼすものではなく、このことは、その利用形態のいかんにより差異を生ずるものではない。また、同条の趣旨は、もっぱら公共の利益を確保することにあるのであって、当該地方鉄道の利用者の個別的な権利利益を保護することにあるのではなく、他に同条が当該地方鉄道の利用者の個別的な権利利益を保護することを目的として認可権の行使に制約を課していると解すべき根拠はない。そうすると、たとえ上告人らが近畿日本鉄道株式会社の路線の周辺に居住する者であって通勤定期券を購入するなどしたうえ、日常同社が運行している特別急行旅客列車を利用しているとしても、上告人らは、本件特別急行料金の改定(変更)の認可処分によって自己の権利利益を侵害され又は必然的に侵害されるおそれのある者に当たるということができず、右認可処分の取消しを求める原告適格を有しないというべきであるから、本件訴えは不適法である。

これと同旨の原審の判断は、正当として是認することができる。原判決に所論の違法はなく、論旨は独自の見解に基づき原判決を非難するものであって、採用することができない。

同第二点について

所論の点に関する原審の判断は、正当として是認することができ、原判決に所論の違法はない。論旨は、原判決を正解しないでこれを非難するものであって、採用することができない。

よって、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条、九三条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官佐藤哲郎 裁判官角田禮次郎 裁判官大内恒夫 裁判官四ツ谷巖 裁判官大堀誠一)

上告代理人大原健司、同佐井孝和、同島川勝、同辻公雄、同山川元庸、同安木健の上告理由

第一 原告適格について

原判決は、上告人らの原告適格に関し行政事件訴訟法九条の解釈を誤り、結論に影響を及ぼす法令違反を犯している。以下その理由を述べる。

一 第三者の原告適格

1 はじめに

原審判決は、上告人らの訴えの利益を否定し、訴えを却下した。しかし特急料金の認可処分権限の存しない大阪陸運局長が料金変更を認可した近鉄特急は日々運行され、近鉄は上告人らをふくむ一般通勤客から莫大な特急料金を徴収している。原審判決で訴えの利益が否定されても、一審判決の認めた被上告人近畿運輸局長の処分権限の違法は放置されたままである。この違法状態の是正を誰が求めうるのであろうか。

認可処分の名宛人である近鉄はこの値上認可処分によって利益を受けるのであるから、処分の違法を争うことはありえない。認可処分によって料金の変更が行われ、値上げされた特急料金を支払わされる上告人ら乗客以外にない。

そもそも司法制度は、不利益を受けた者が、裁判所に提訴し不利益の回復が図られ、総体としての社会秩序が維持されることが予定されている。利益を受けた者が裁判所に費用と労力を費して、自己の利益を削減することを求めることはありえないし、法の予定しているところではない。不利益を受けた者がその痛みを原動力として、訴訟が起動するのである。行政事件訴訟においても、その構造は変るところではない。行政事件訴訟法九条の処分又は裁決の取消しを求めるにつき法律上の利益を有する者とは、まさに行政庁の処分によって不利益を受けた者を指すのであり、処分の形式的な名宛人に限定されるものではない。

2 第三者の原告適格

そもそも、社会の複雑化・多様化とともに、現代の行政は国民生活と深いかかわりをもつようになり、行政庁の処分が及ぼす影響の範囲が拡大する一方であることは、否定することができない事実である。それはたんに、処分の名宛人のみならず、第三者に対してもしばしば大きな影響を及ぼす。したがって行政庁の違法な公権力の行使により権利・利益を侵害された国民は、裁判所にその救済を求めることができるとするのが、法の支配の理念に適う。行政処分の効果に応じて行政庁の処分の取消を求めうる者の範囲は、必然的に拡大されざるをえない。

我国の多くの判例もその傾向を示しており、第三者の原告適格を次第に拡大しつつあるのが現状である。

最高裁昭和三七年一月一九日判決(判例時報二九〇号六頁)によれば、既存の公衆浴場営業者は第三者に対する公衆浴場営業許可処分の無効確認を求める訴の利益が認められた。公衆浴場は都道府県知事の営業許可を受けることを要する営業であるが、公衆浴場の配置について配置の適正を欠く場合に営業許可を与えられないことがある。右判例の事案は、既存の公衆浴場営業が第三者に与えられた営業許可につき、営業許可の配置基準に合致しないものであり、自分達の営業上の利益が侵害されるとして、新たな者が受けた営業許可処分を争った事案である。

この事案は、結局のところ新たに営業許可を受けた者が、公衆浴場の配置に関する許可基準に適合しない営業許可を受けた場合、営業許可を受けた者自体は、許可処分の違法を争うことがありえないから、その営業許可処分によって不利益を受ける第三者、すなわち既存の公衆浴場営業者に許可処分の違法を争わせるのが合理的であると判断されたのである。

次に、近鉄の地方鉄道事業と同様の地域独占企業に対する行政庁の供給条件の認可処分に対し、一般消費者に原告適格を認めた東京地裁判決(昭和四三年七月一一日判例時報五三一号二四頁)が注目されるべきである。

右の判決では本来ガス会社が負担しなければならない工事費を消費者に負担することを認めたガス会社に対する通産大臣の特別供給条件の違法を争うにつき、ガスの供給希望者に原告適格を認めた。本件特急料金の場合、上告人らは近鉄の地域独占の結果、日々通勤のために近鉄を利用せざるをえない立場にあり、ガス会社に対する供給希望者と類似の法律関係であるから、上告人らに原告適格が認められるべきである。

また原子炉設置許可処分の取消を求める地域住民の行政訴訟では、地域住民に原告適格が認められている(例えば伊方原子力発電所事件松山地方裁判所判決昭和五三年四月二五日判例時報八九一号三八頁)。原子力発電所の行政訴訟では、地域住民の主張するのは、将来の被害の可能性であり、被害の及びうる地域住民に原告適格が認められているのである。

以上のように見て来ると、第三者に原告適格が認められるか否かは、結局のところ、当該行政処分によって直接かつ重大な不利益を被る者又はその可能性のある者に処分の違法を争わせるのが適正かつ合理的であり、行政処分の形式上の名宛人であるか否かは、原告適格を判断するうえ最終的な決め手になるものではないのである。

二 ジュース表示事件判決及び長沼ナイキ基地事件判決について

原判決は、行政事件訴訟法九条の法律上の利益を有する者の解釈に関し、最高裁のいわゆるジュース表示事件(昭和五三年三月一四日判決)を引用して、反射的利益を論じ、いわゆる長沼ナイキ基地事件(昭和五七年九月九日判決)を引用して、公益との関係を論じ、本件の原告適格を否定する論拠として判示している。原判決の判示はいずれも誤りであり、かつ最高裁判決の判断の及ぶ範囲を誤ってしたものであるので、以下批判する。

1 ジュース表示事件判決について

原判決は「法律上保護された利益とは、行政法規が私人等権利主体の個人的利益を保護することを目的として、行政権の行使に制約を課していることにより保護されている利益であって、それは、行政法規則が他の目的、特に公益の実現を目的として行政権の行使に制約を課している結果たまたま一定の者が受けることとなる反射的利益とは区別されるべきである」と判示している。

そもそも反射的利益、ないし事実上の利益の考え方は原告適格の制限する理論として登場してきたものであるが、何が反射的利益か、あるいは法律上の利益か事実上の利益かは、必ずしも明らかではなく、判決の結論は区々に分かれており、原告適格有無の統一的な判断基準とはなりえない(甲第四〇号証千柄泰論文七二ないし七五頁参照)。結局、行政処分の結果原告がこうむる不利益の内容と程度を考慮して、ある場合は法律上の利益とし、ある場合は反射的利益ないし事実上の利益としているものと言っても決して過言ではない。

最高裁は、ジュース表示事件において、景表法(不当景品類及び不当表示防止法)の規定により一般消費者が受ける利益は、同法の規定の目的である公益の保護の結果として生ずる反射的利益ないし事実上の利益であり、法律上保護された利益ではないと判示した。

しかしながら、右最高裁判決は第三者の原告適格の枠を狭く解するものとして批判が強いばかりか、公益と消費者の個々的利益の関係のとらえ方についても疑問が呈されている。

すなわち、一般消費者の利益といっても、結局個々の消費者の利益の総和にすぎないのに、右判決はこれを無視しており、一般消費者の利益すなわち「公益」(判決はそう解しているようである)に個々の消費者の権利を否定する作用を果させているのである(甲第四二号証布村勇二論文八三頁参照)。結局、最高裁判決によれば、行政の処分による影響が厖大な数の国民に及べば及ぶほど、「個々の国民の利益が公益に包摂される」ことになって、違法な処分から国民を救済する途が閉ざされる結果となる。これはまことに奇妙な論理というほかない。(なお右論文のほか最高裁判決を批判するものとして甲第四三号証上原敏夫論文二一七、二一八頁等がある。甲三九号証の一田中舘論文も最高裁判決に反対である。)

2 長沼ナイキ基地事件判決について

原判決は、長沼ナイキ基地事件判決を引用して以下のとおり判示している。

「法律が対立する利益の調整として一方の利益のために他方の利益を制約する場合、それが、個々の利益主体間の利害の調整を図るというよりむしろ、一方の利益が現在及び将来における不特定多数の顕在的又は潜在的な利益の全体を包含するものであることに鑑み、これを個別的利益を超えた抽象的・一般的な公益としてとらえ、かかる公益保護の見地からこれと対立する他方の利益に制限を課したものとみられるときには、通常、当該公益に包含される不特定多数者の個別的に帰属する具体的利益は、直接的には右法律の保護する個別的利益としての地位を有せず、いわば右の一般的公益の保護を通じて付随的、反射的に保護される利益たる地位を有するにすぎないとされているものと解され、ただ特定の法律の規定が、これらの利益を専ら右のような一般的公益の中に吸収せしめるにとどめず、これと並んで、それらの利益の全部又は一部につきそれが帰属する個々人の個別的利益としてもこれを保護すべき趣旨を含むものと解されるときは、右法律に違反してされた行政庁の処分に対し、これらの利益を害されたとする個々人においてその処分の取消しを訴求する原告適格を有するものと解せられる。」

ところで、最高裁判決は、①法が不特定多数者の個別的利益を超えた抽象的・一般的な公益の保護を目的としている場合には、公益に包含される不特定多数者の個別利益の侵害は単なる反射的利益の侵害にとどまり、その侵害を受けた者は処分の取消しを求めることができないこと、②他方で、法が公益とならんで個々人の個別的利益を保護するべきものとすることも可能であって、特定の法律がこのような趣旨を含むものと解されるときは、処分によって利益を侵害されたとする個々人が処分の取消しを求めることができること、以上の二点を一般論として判示しているのである。要するに、最高裁判決は、法が公益のみの保護を目的としているか、個々人の個人的利益をも保護しているかによって、利益を侵害されたとする個々人の原告適格の存否が決せられるべきであるということを述べているのであり、原判決が判示しているように、法が公益の保護を目的としている場合には、個々人について原告適格が認められるのは例外的な場合に限るべきであるなどと解する余地はどこにもないのである。

さらに付言すると、被上告人らは原審において長沼ナイキ基地判決につき、最高裁は、①森林法が保安林の指定に「直接の利害関係を有する者」に対して一定の権利を与えていること、②旧森林法には保安林の編入解除に関し「直接の利害関係を有する者」に行政訴訟の提起を認める規定があり、これが裁判事項の制限的列挙主義を廃した行政事件訴訟特例法の制定にともない廃止されたこと、以上の二点を原告適格を認める根拠として挙げていることを述べ、原告適格が認められるためには、このような具体的な規定によって個々人の利益が保護されていることが最低限必要であるというのが最高裁の判断であると解されると主張していた。

最高裁判決において、原告適格を認める根拠として右二点を挙げていることは事実である。しかしながら、森林法のような具体的規定によって個々人の利益が保護されていることが、原告適格肯定の最低限度の要件であるとするのは論理の飛躍である。すなわち、長沼ナイキ基地訴訟においては、森林法に前記のような規定があったために、原告適格を肯定する際にその根拠としてこれらの規定の存在を挙げるのは当然のことである。このような規定が存在しない場合、そのことを根拠に原告適格を否定したのであれば、被上告人の主張するとおりであろうが、そうでない以上最高裁が原告適格について右のように限定的に解していると断定するのは、論理の飛躍というべきである。

被上告人の主張するとおり、原告適格が認められるためには前記のような具体的な規定が最低限必要だとすれば、法律の列記する事項についてのみ出訴を認めるという旧行政裁判法の列記主義に逆もどりし、現行行政事件法の採用した概括主義に相反する結果になりかねない。

3 最高裁判決の及ぶ範囲

イ 最高裁判決における公益

最高裁は、ジュース表示事件において、「国民一般が共通してもつにいたる抽象的、平均的、一般的な利益」を「公益」と表現しており、長沼ナイキ基地事件においては、「不特定多数者の……個別的利益を超えた抽象的・一般的(利益)」を「公益」と表現している。個々人の具体的利益が、右のような「公益」に「完全に包摂されるような性質のもの」(ジュース表示事件最高裁判決)あるいは、「公益」に「包含される(もの)」(長沼ナイキ基地事件最高裁判決)である場合は、そこの利益は「反射的ないし事実上の利益」であるというのが最高裁の考え方である。したがって、原告適格の有無を論じる場合は、当該原告の利益が右のような公益に包摂しつくされるものかどうかを考察しなければならないことになろう。

最高裁判決の考え方を前提とする場合、前記二事件で問題とされる原告の利益、あるいはこれと対置される公益の内容がどのようなものであるかを考察し、それらと本件とがどのような関係にあるかを比較しなければならない。その詳細は次のとおりである。

ロ 二事件における公益と具体的利益

ジュース表示事件で処分の結果個々の消費者がうける不利益は、ジュースという商品を選択する自由というような抽象的・一般的なものであり、しかもその選択の自由を奪われる可能性があるというものである。これを原告となりうる者の範囲についてみても、国民は誰でもジュースの消費者となりうるところから、同事件で原告らに当事者適格を認めるならば、国民は誰でも同種事案において原告となることができる結果となり、その範囲は無限定となってしまう。

このような場合、原告の利益は「国民一般が共通してもつにいたる抽象的・一般的な利益とみることが可能であり、個々人の利益は公益に「完全に包摂される性質のもの」ということも、あるいはできるであろう。

長沼ナイキ基地事件では、森林法によって保護される公益は、保安林の周辺住民その他の不特定多数者が受ける自然災害の防止、環境の保全・風致の保存などの一般的利益である(最高裁判決)。これに対し原告適格を認められた原告らは、保安林の伐採による理水機能の低下により洪水緩和、渇水予防の点で直接に影響を被る地域に居住する住民である。このような地域住民の利益は右のような公益に包含されてしまうものでないことは明らかであり、保安林解除処分の取消しを求める訴訟について、原告となりうる者もおのずと特定されることになる。従って、旧森林法以来の沿革等をまつまでもなく、原告適格が肯定されてしかるべき事案である。

ハ 二事件との差異

以上に対し本件の場合は次のような点で特異性がある。

第一に、地方鉄道二一条によって保護される利益は利用者の経済的利益であり、これは結局個々の利用者の利益に還元されることになる。逆にいえば、利用者一般の利益といっても個々の利用者の総和以外のなにものでもなく、これを離れた公益などというものは存在しないのである。

すなわち、個々の利用者の利益は「不特定多数にわたる一般利用者の利益すなわち公益」に包摂されてしまうものではないのである。

第二に、本件の原告らは近鉄沿線に居住し、通勤のために定期券を購入し日常的に近鉄を利用せざるをえない立場にあるものであり、また現に近鉄特急をほとんど毎日利用している者である。そのような原告らにとってみれば、本件認可処分によって値上げされた分だけ経済的負担が増大するのであり、これらは「公益に包摂される」結果雲散霧消してしまうような不利益ではない。このように本件原告らは近鉄特急の利用者という特定された存在であり、ジュース表示事件のように一般消費者というような抽象的存在ではない。同じような立場の者が多数存在することは事実であるが、これは認可処分によって影響をうける者の範囲が著しく広いことを物語っているにすぎず、多数存在する結果その利益が公益に昇華してしまうというものではない。

上告人らの近鉄特急利用にかかわる法律関係は、各上告人の立場からみれば各上告人がそれぞれ直接かつ具体的、個別的に近鉄との間でなす特急による旅客運送契約であって、大阪陸運局長の認可は、その旅客運送契約上の一要素である運送料金についての直接的な効力発生要件である。そしてこれが近鉄と多数の乗客との旅客運送契約の内容を構成する普通約款並びにこれに対する予めの認可という形態を採っているため恰も地方鉄道法二一条による認可がいわば公益に包含される単なる一般的、抽象的利用者と近鉄との利害の調整をなすもののように誤解されがちなのである。

この場合、各上告人は独占的な免許をもつ近鉄との旅客運送契約上の本来自由競争下に形成されるであろう公正な運送料金を、権限ある運輸大臣の認可により正しい監督下に確定し効力を発生させて、これにより運送を受ける法律上の利益を有するものである。

この利益はかかる法律関係と地方鉄道法第二一条又は独禁法の法意から必然的に導かれるものであって、直接的かつ具体的、個別的な法律関係と利益を有する各上告人と、一般公益、反射的利益を有するにすぎないものとは区別される。

従って、原審判決が本件訴訟での原告適格を判示するに当って両事件を引用するのは妥当でなく、本件訴訟で原告適格が認められることと、従前の最高裁判例との間には、判例抵触は起こらないのである。

二 本件訴訟における上告人らの原告適格

1 地方鉄道法二一条の解釈

イ 原判決の表示

原判決は、地方鉄道法二一条について、「同法二一条は地方鉄道の運賃・料金を監督官庁たる運輸大臣の認可にかからせているが、地方鉄道法の目的とするところは、本来自由であるべき交通事業を規制することにより公益の実現を図ろうとしているものと解すべきであり、その一般利用者の利益の保護も、右による公益保護の一環として、換言すれば一般利用者の利益は一般的公益に包摂されたものとして、その公益の保護を通じ保護されるものと解せられる。」と判示し、「もとより一般利用者といっても、個々の利用者を離れて存在するものではないが、地方鉄道法上このような個々の利用者の利益は、同法の規定が目的とする公益の保護を通じ、その結果として保護されるもの、すなわち公益に完全に包摂されるような性質のものにすぎないと解される。したがって運輸大臣による地方鉄道法の規定の適正な運用によって得られる一般利用者の利益は反射的な利益ないし事実上の利益である」と述べ、地方鉄道法二一条には、利用者たる乗客の利益は、法律上の利益として含まれていないと結論する。

第一審判決は、同法二一条の解釈において、公益的利益と利用者の利益が併存するとの判断を示していたが、原判決は同法二一条が利用者の利益が公益的利益に包摂されるとの結論を選ぶと、上告人らの主張を次のとおり切って捨てている。

第一に、独禁法及び消費者保護基本法の法意に照らし、上告人らは地方鉄道法二一条により、近鉄の利用者として当然公正・適正な料金で特急を利用する権利あるいは法的に保護された利益を有する旨の主張については、「独禁法及び消費者保護基本法によって消費者が受ける利益は、特別の規定による場合を除き、一般にこれらの法律の適正な運用によって実現されるべき公益の保護を通じ消費者一般が共通してもつに至る抽象的、平均的、一般的な利益であり、右各法律の規定の目的である公益の保護の結果として生じる反射的な利益ないし事実上の利益である」と判示した。

第二に、地方鉄道法によって保護される利益は経済的利益であり、個々の利用者の利益に還元されるものであり、第一審原告らは通勤のため日常的に近鉄を利用する者であって、本件認可処分によって値上げされた分だけ経済的負担が増大するから、これは公益に包摂されるものではないとの主張については、

「公益は個々の住民・利用者の利益と離れては存しないが、その具体的内容・性質等に鑑み、法はこれを公益として包摂して保護することが行われるのであるから、当該利益が経済的利益であることを根拠に包摂されつくされないと当然にいいうるものではない。かえってこのような利益の性質、程度、利用者が不特定多数に亘るものであることに鑑みると、公益として包摂される適正を有するものとさえいいうるのである。」と判示した。

ロ 第一審判決の判示

しかるに第一審判決は、地方鉄道法二一条の解釈について、以下のとおり判示している。

「地方鉄道業者は、主務大臣の免許を得て一定の地域における鉄道運輸を独占的に営む地位が保証されることになるので、右運賃等を鉄道業者限りで決定できるとすれば、右独占的地位を背景としてこれが恣意的に定められるおそれがある。しかし、その恣意を許すと、わが国の交通秩序、経済秩序が破壊され、利用者に経済的打撃を与えることは、必至である。そこで、同項は、運賃や料金の認可という行政処分を通して、監督官庁に介入させ、運賃、料金が、運輸政策や物価政策的見地から適正額にきめられるようにしたのである。したがって、この認可によって受ける利益は、我が国の経済秩序の維持、物価抑制といった公益的利益にとどまらず、鉄道利用者の利益も併存しているといえる。

このように、同項が運賃等の定めについて認可を必要とする趣旨が、右のように鉄道利用者の利益を保護することにもあるから、ここにいう鉄道利用者の利益とは、鉄道利用者の個別的具体的な利益を含むものとしなければならない。なぜならば、(1)運賃等の改訂の認可は、運賃等の改訂そのものではなく、また、当該鉄道を利用しない限り運賃等の支払義務が生じないけれども、鉄道運送事業の独占的地位のために当該鉄道を利用せざるを得ないことや、認可は自動的に運賃等の具体的改訂に結びつくことからみて、運賃等の認可処分は、個々の鉄道利用者の利益に直接影響を及ぼすものであるということができ、(2)不特定多数の一般利用者が持つ共通の利益は、結局、個々の利用者の具体的利益の抽象化されたものであるから、個々の利用者の具体的利益に基礎があるものであって、個々の利用者の具体的利益に還元されるからである。この点では、電気、ガス供給事業の料金等を定めるについて、認可制度を採用しているのと同断である(電気事業法三条、一九条一項、ガス事業法一条、三条、一七条一項参照)。」

ハ 原判決の誤りについて

両判決の結論の異なるキーポイントは、地方鉄道法二一条が保護の対象としている利益に関して、公益的利益と利用者の利益が併存していると解するか、包摂されていると解するかである。一審判決は運賃料金の改定の認可が鉄道事業者の独占的地位のため、個々の鉄道利用者は改定された運賃料金の支払を強制させられる結果となることに着目し、そこに利用者の経済的利益を見ている。一方原審判決は、利用者の具体的利益は公益に包摂されると、何んらの理由づけなしに「結論」を出して、その「結論」を繰り返しているに過ぎない。とくに前記ロ、第二で述べた「公益は、個々の住民、利用者の利益と離れては存しないが、その具体的内容、性質等に鑑み、法はこれを公益として包摂して保護することが行われているのであるから、当該利益が経済的利益であることを根拠に公益に包摂されつくされないとは当然にいいうるものではない」との判示は全くの詭弁であり、理解できない。また右の判示のいう「その具体的内容、性質等に鑑み」はその内容が全く述べられていないので、実質的な理由を示していない。

ニ 上告人らの解釈

上告人らは地方鉄道法二一条の解釈については、第一審判決の判示と同様である。

(ⅰ) すべての契約は公正かつ自由な競争のもとではじめて公正・適正な契約の締結が可能である。しかるに現代社会においては、消費者は企業に対し、市場支配力、資金力、組織力、専門的知識など、契約当事者としてあらゆる意味で弱者の地位にあり、独占もしくは寡占のもとでは公正かつ自由な競争は排除され、企業から一方的に不公正な契約条件による契約を強制されている。

こうしたことから今日、消費者を保護し価格その他取引条件の公正を図るべきであるとする法的確信が生れている。

アメリカ合衆国では、一九六二年三月ケネディ大統領の「消費者の利益保護に関する大統領特別教書」で、消費者は「安全を求める権利」、「知らされる権利」、「意見を聞いてもらう権利」ならびに「選ぶ権利」を有するとし、これらの権利を保護することによって取引条件の公正を保護することを宣言した。

我国でも、昭和三八年六月国民生活向上対策審議会は、「消費者保護に関する答申」において、消費者は安全性保障の権利・表示広告適正化の権利とならんで、商品・サービスの価格等取引条件が自由かつ公正な競争によってもたらされるものであることを要求する具体的権利を有すると指摘している。

そして学説においても、消費者は商品・サービスを適正・公正な価格取引条件で提供を受ける権利を有するとされている(正田彬「消費者の権利」岩波新書、竹内昭夫、現代法学全集「現在の経済構造と法」一六頁以下、等)

このような消費者の価格等取引条件の公正を要求する権利・利益は、「私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律」(以下独禁法という)により、法的強制手続をもって具体的に保護されている。

独禁法は公正かつ自由な競争を促進することにより、消費者の利益を保護することを目的として制定され(同法一条)、私的独占もしくは不当な取引制限をし、又は不公正な取引方法を用いた事業者は損害賠償の責に任ずる(同法二五条)としている。すなわち、企業の不公正な取引方法によって価格が不当に高額に決定・維持され、このため消費者が不当な価格で商品・サービスの提供を受けるに至ったとき、消費者は、公正かつ自由な競争によって形成されたであろう適正価格との差額につき損害を被ったものとして不公正な取引方法を用いた業者に対し、無過失損害賠償責任を問うことを認めている(通説、東京高裁昭52.9.19判決、判例時報八六三号二〇頁)。

このように、消費者は、法的権利としてあるいは少なくとも法的に保護された利益として、「公正・適正な取引条件で商品・サービスの提供を受ける権利・利益」を有している。

ところで、消費者である上告人らが近鉄と締結する近鉄特急の利用契約は後述のとおり附合契約であり、原告は右契約において本件認可による特急料金を強制されることになるから、本件認可は正に、消費者たる上告人らの「公正・適正な価格等の取引条件でサービスの提供を受ける権利」に係るものといわなければならない。

(ⅱ) 地方鉄道法は、鉄道事業の公共性に鑑み、事業の健全な経営が、自由競争の弊害により破綻をきたし、地域住民の日常生活上必要不可決な輸送手段の確保に支障を生ずることをおそれ、事業者に事業の独占を認める一方、事業独占のゆえに生じる場外について行政庁が、諸々の行政処分や指導をおこなうことにより、これを排除しようとしている。

地方鉄道法二一条事業者が運賃その他運輸に関する料金を定めるにつき行政庁の認可を要するとしている。この規定は、鉄道事業の独占性の弊害として、利用者は、事業者が一方的に定めた不当な運賃・料金の支払を強制されることになるので、利用者に対しその運賃・料金の公正・適正を保障しようとする趣旨にも出たものである。

独禁法により消費者は適正・公正な取引条件により商品サービスの提供を受ける権利・利益を法律上保護されていることは前述のとおりであるが、独禁法の適用が除外された鉄道事業のような各種公益事業においても、独禁法に代って各個の公益事業法により、自由競争の代替措置として行政庁の行政処分等を介在されることで消費者の右権利・利益が保護されている(消費者保護基本法第一一条参照)。

地方鉄道法二一条の規定の趣旨も、独禁法適用除外の代替措置として消費者の価格等取引条件の適正・公正を要求する権利を具体的に保護しようとするものに他ならない。

以上のとおり、消費者たる原告らは地方鉄道法により適正・公正な料金で特急を利用する権利、あるいは少なくとも法律上保護された利益を有するものである。

同法二一条にもとづき認可された運賃・料金は、具体的な運送契約上の契約条件となり、それが個々の利用者の具体的運送契約の締結によってはじめて具体化現実化するものであり、個々の利用者の運送契約をはなれては何んらの意義をもたないものである。したがって同法二一条が認可によって保護しようとした利益は、個々の具体的利用者が適正・公正な運賃・料金で運送サービスを受ける権利、利益そのものといわねばならない。原判決のいう一般公衆の利益(公益)は、個々の利用者の利益の総和以外の何ものでもないのである。このことは本件認可により不当に高額な料金の支払を強制されるのは個々の具体的鉄道利用者であって、抽象的な一般公衆でないという一事をみても明らかである。

なお、原判決は、運輸審議会に諮問された運賃変更認可について、公聴会で公述することのできる利害関係人や公聴会の開催を要求することのできる利害関係人には利用者は含まれないとし、これを理由に地方鉄道法第二一条と個々の鉄道利用者の利益を保護したものではないという。しかしながら、このような論理は本末転倒である。なぜならば、「利害関係人」については明確な定義はなく、これに何人を含めるかは、地方鉄道法第二一条が保護しようとしている利益を指標にして判断されるべきであるからである。

以上のとおり、原告らは適正・公正な運賃・料金により運送サービスを受ける権利・利益あるいは地方鉄道法上保護された権利・利益を有するところ本件認可は原告らの右権利・利益を侵害するものであるから原告らは本件認可取消訴訟について行政事件訴訟法九条にいう「法律上の利益」を有することは明らかである。

2 上告人らは認可処分の名宛人である。

上告人らは、本件認可処分の当事者としても、本件認可処分の取消しを求める法律上の利益がある。

近鉄は、その沿線において独占事業者であるため、沿線住民である上告人らは、近鉄を利用するほかなく、特急を利用する以上、近鉄の定めた条件にしたがわざるをえない。つまり、上告人ら利用者は、本件認可処分による効果を名宛人たる近鉄と一体に受けることになる。

もっとも、本件認可処分は、その手続上あるいは形式上、近鉄からの申請に対して近鉄を処分の名宛人としてなされたものである。しかし、本件認可処分は、一方で近鉄の料金設定行為を制限しながら、他方では、利用者たる上告人らに対し一定の金員の支払いを強制する効果を有する。

したがって、上告人ら利用者は、本件認可処分について、第三者として影響を受ける者というより、むしろ本件認可処分の名宛人或いは少なくとも名宛人に準ずる立場にある。

3 利益侵害の直接かつ重大性

仮にそうでないとしても上告人らは、通勤のため常時特急料金が改定されることによって、直接かつ重大な不利益を被っている。それであるのに上告人らは、本件申請に関する近鉄の認可申請の閲覧の機会も認可に対する意見陳述の機会も与えられなかった。しかし、上告人ら利用者には、本件認可処分の適法性を問うことができる途が確保されるべきである。したがって、上告人らの訴の利益は、肯認されるべきである。

もし、近鉄の利用者である上告人らには、本件認可処分に対し取消しを求める法律上の利益がないとすると、近鉄が、本件認可処分を争わない限り、裁判所の審理判断が得られないことになる。しかし、近鉄が、本件認可処分を争う理由も必要もない(本件認可処分は、本件申請どおり認められている)。そこで、このような場合には、近鉄の利用者こそ本件認可処分の適法性審査を求める最適任者であり、上告人ら利用者に原告適格を認めることが合理的である。

なお、本件は、認可処分の手続違法、殊に処分権限の有無が争点となっている事案であって、このような場合に、当事者適格の範囲を厳格に解釈して、実体的判断を回避する結果になることは、行政の民主化、行政手続の適正化を目的とする行政訴訟制度にそぐわないというべきである。

第二<省略>

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